歌がうまい人は、どこが違うんだろう

考えた

最初の一声で「違う」と感じる人がいる

歌の練習なんて、
ほとんどしたことがないのに、
いきなり「うまいな」と思う人がいる。

音程が正確とか、
ビブラートがきれいとか、
そういう話じゃない。

最初の一声を聞いた瞬間に、
「あ、違うな」と感じる人。

あれは、どこが違うんだろう。


努力の量と、結果が比例しないことがある

不思議なのは、
その「違い」が、
必ずしも努力の量と比例しないことだ。

毎日まじめに練習している人より、
ほとんど歌ってこなかった人のほうが、
すっと歌ってしまうことがある。

これ、歌に限らない。

製造業の現場でも、
同じ図面、同じ基準なのに、
一発で決める人と、
何度やっても安定しない人がいる。

教えたとおりにやっているはずなのに、
結果が違う。

「なぜ?」と聞かれても、
うまく説明できない。


のど自慢を見ていて、毎回思うこと

歌に戻すと、
のど自慢を見ていても、
似たような場面によく出くわす。

特別なテクニックを見せるわけでもないのに、
声が前に出て、
音がぶれず、
最後まで安心して聴ける人。

逆に、
一生懸命やっているのは分かるのに、
どこか落ち着かない人もいる。

その差は、
練習量だけでは説明できない気がする。


理屈じゃないところで、合っている人

たとえば、
歌っているときに、
自然に声が揺れる人がいる。

ビブラートを「かけよう」としている感じじゃない。
ただ、伸ばした声が、勝手にそうなる。

口笛が妙にうまい人も、
だいたい歌を外さない。

理屈じゃないところで、
音と息の扱い方が、
最初から合っているように見える。


才能なのか、生まれつきなのか

じゃあ、それは才能なのか。
生まれつきなのか。

たぶん、そうなんだと思う。

ただ、
それをはっきり言ってしまうと、
話が終わってしまう。

努力が無意味だとか、
向いていない人は無理だとか、
そういう話をしたいわけじゃない。


合う・合わないという、どうしようもない差

歌でも、仕事でも、
人と人の関係でも、
合う・合わないというのは、確かにある。

ある人にはすっと伝わるのに、
別の人には、どうしても噛み合わない。

それは、
どちらが悪いという話でもない。

そういう組み合わせなんだと思う。


技術の前に、噛み合っているもの

歌がうまい人は、
技術の前に、
何かが噛み合っている。

身体なのか、
感覚なのか、
育ってきた環境なのか。

はっきりとは分からないけれど、
確かに「違い」はある。


カラオケで気づいた自分の限界

俺自身、歌はそこまで下手ではないと思っていた。
カラオケに行けば、それなりに歌える。
点数もまあまあ出る。

でもある日、隣で歌った人の声を聞いて、
自分との差を感じた。
同じ曲なのに、聴こえ方がまるで違う。
技術の差ではなく、
声そのものの「質」が違うのだ。

悔しいとも思わなかった。
ただ「ああ、こういうことか」と腑に落ちた。


それでも残る、埋まらない差

歌に限らず、
世の中の多くのことは、
だいたい同じ構造なのかもしれない。

基準はある。
練習も大事。
経験も積めば、できることは増える。

それでも埋まらない差が、
ときどき、残る。

まあ、
それを言っちゃおしまいだけど。


追記(Choice)

一度「基準」を見てもらう、という選択肢

ただ、
ここまで考えてくると、
「自分はどこが合っていて、どこが合っていないのか」
一度ちゃんと見てもらいたくなる人もいると思う。

歌は、闇雲に練習するより、
最初に“基準”を一度知っておくと、
無駄な遠回りをしなくて済むこともある。

もちろん、
誰に教わるか、どんな指導が合うかは、人それぞれだ。
合わなければ、無理に続ける必要もない。

ただ、
「自分は向いているのか」
「どこがズレているのか」
それを一度、プロの目で見てもらうという選択肢はある。

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